| 大和への攻撃隊発進 |
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その夜(4月6日)の後刻、瀬戸内海からの出口を監視していたアメリカ潜水艦2隻のうちの1隻、スレッドフィンが、豊後水道から出るいくつかの小さなレーダー接触光点を伴う1つの大きな海面接触光点を報告した。この知らせを受け取ったスプルーアンスの最初の本能的反応は、モートン・デヨ提督に水上交戦に向けて戦艦の準備を整えるよう警告することだった。しかしミッチャーは、この機会を逃すつもりはなかった。彼は長航続距離艦載機による夜明けの索敵を命令し、午前8時30分に結果が得られた。4月7日、パイロットが東シナ海を航行中の大型戦艦1隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦8隻を報告した。ミッチャーは9隻の空母からの航空機280機による、空母による総攻撃を命令した。このときになって初めて、彼はスプルーアンスに「あなたがやりますか、それとも私がやりましょうか?」と艦間通信(TBS:talk between ships ※)無線通信で尋ねた。スプルーアンスは「きみがやれ」と答えた。その時までに攻撃隊航空機はすでに飛行中だった。 ※低出力の超高周波無線システムで、見通し範囲内(約25マイル)にしか届かなかった。そのため敵は傍受することも、受信することさえできなかった。
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