両洋艦隊法 



  真珠湾攻撃の1年半近く前に、帝国海軍連合艦隊全体の規模に匹敵するほどの艦艇を建造する巨大海軍予算をアメリカ議会が成立させていた。この一事によってもアメリカの国力が容易に理解できるのに、当時の日本軍がアメリカとの戦争に踏み切ったことは不可解です。さらに当時も、戦後も、この件が取り上げられてこなかったことはさらに不可解です。この法律によって、エセックス級空母の登場が1年半、早まることになる。


  1940年6月のフランスの陥落は、アメリカ議会の態度に劇的な、さらには革命的なとさえ言える影響を与えた。戦争に参加しないという国民の決意には影響しなかったが、フランス陸軍の驚くべき敗北と英国軍のダンケルクからの撤退は、多くのアメリカ人にヨーロッパでのドイツの勝利は可能性が高く、おそらく差し迫っていると確信させた。したがって米国は、参戦するためではなく、ドイツが勝利した場合に西半球を防衛するために、より強力な軍事的準備をすることが賢明だと思われた。フランスの降伏から1ヵ月も経たない7月19日、議会はアメリカ史上最大の海軍予算を可決し、それは艦隊に257隻もの軍艦を追加し、海軍の規模を2倍近くに拡大するものだった。両洋艦隊法と呼ばれたこの法律は、驚くべきことに新たな航空母艦18隻、戦艦7隻、巡洋艦33隻、および駆逐艦115隻の建造を認可した。それ自体で日本帝国海軍全体とほぼ同じ規模の戦力であり、ナチスドイツ海軍を問題にしない規模のものだった。85億ドルを超える巨額の金額にもかかわらず、この法案は下院において316対0で可決された。こうして、条約議定書を破棄して米国と海軍建艦競争をするという日本の決断は、極めて思慮不足であったことが明らかになった。もちろんこの夏に認可された艦艇はどれも実用化までに何年も掛かり、そして米国が艦隊を大西洋と太平洋に分割しなければならなかったために、それらの条件は、日本軍にまだ、狭いながらも開かれたチャンスの窓があり、その間、日本の艦隊はアメリカとの競争力を維持できることを意味した。日本軍は、1942年半ばに自国の海軍がアメリカに対して頂点に達すると計算していた。実際その後、アメリカ軍は最前線に押し寄せ、急速に優位性を広げていくことになる。米国との戦争は避けられないと信じていた日本人にとって、時計はすでに刻々と時を刻み始めていたのである。



     『海の第二次世界大戦』より抜粋


          この本の実ページ





           
トップページへ