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内容紹介
目次よりもさらに詳細な内容紹介です
ミッドウェー海戦
第一次ソロモン海戦
マリアナ沖海戦
訳者あとがき
あの戦争を省みて
訳者から見た本書の特徴
名前は知っているあの人物がわかる
本書への図書館・大学からの評価
訂正
本書は、わかりやすく書いていますが、どうしても 特殊用語が出てきます。例えばケルネヴェル (フランスのロリアンにあったUボート司令部:地名から)
とか、ステーション・ハイポ (ハワイの暗号解読部局) などの固有名詞や、LST (戦車揚陸艦:Landing Ship, Tank の頭文字)
といった略語などです。
またこの本は大作ですが、小見出しを充実させているので、「マリアナ沖海戦」とか、興味のあるところだけ拾い読みできます。
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| この翻訳では、作業のスピードアップを図るためと、訳の正確さを期すために、みらい翻訳とDeepL翻訳を活用させていただきました。勿論、訳出された文は、私が原文(英文)と照らし合わせて検討加工しており、責任は私にあります。 |
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(訳の過程でAI翻訳を使用する法的瑕疵を、文化庁の著作権に関するポータルサイトに問い合わせたところ、問い合わせ内容が著作権等の侵害に関するものではないと考えられることから、当窓口では対応できず、法テラス等を利用してください、とのことでした。
また、「AIと著作権に関する考え方について」(令和6年3月15日、文化審議会著作権分科会法制度小委員会)でも、「著作権法は、著作物に該当する創作的表現を保護し、・・・
誰が表現しても同じようなものとなるものは著作物に該当しない」と記されています。
私は翻訳出版は過渡期に入っており、10年後には翻訳者を必要とせず、AI翻訳だけで翻訳書が出版できるようになるかもしれない、と考えています。) |
本書の「訳者あとがき」にも記している、1940年アメリカの「両洋艦隊法」がこれまで日本で注目されてこなかったことは不可解です。これは太平洋戦争の開戦を左右したかもしれない超重要事項にもかかわらず、だからです。連合艦隊をもう1つ作るような、とてつもない法律を成立させ得る国力がアメリカにはあると知って、開戦などできたはずがなかったでしょう。アメリカの新聞では大きく報道されたはず・・・です。NHKで2011年に放送され、2021年12月に再放送された「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」では、陸軍も含めて国家を動かしていた皆が勝てない戦争だとわかっていた、と明らかにしています。だからこそ、この両洋艦隊法のような事実を積み上げて、世論に真実を伝えていくことが大切だったのではないでしょうか。ただ、1940年当時の日本国内の空気は「浮ついたヤンキーに何ができる」というものだったでしょうから、予算の段階では問題にされなかったのかもしれません。しかしこの法律で推進された米軍戦力が(エセックス級空母がサイパン攻略に決定的だった (リンク)ように)太平洋戦争で決定的な力となったことから、戦後には検証されるべきでした。(この件を番組にできないかNHKに投稿したのですが、返答はもらえていません)
軍事専門家ですら、この件を知らずに記事を書いており、この米国の建艦計画の重要性をクローズアップさせたことだけでも、本書の存在意義が有るのではないでしょうか。そしてこれこそが翻訳の価値です。
レイテ沖海戦で、栗田艦隊がレイテ湾に突入していたら、米軍に大打撃を与えていただろうに、と考える人がまだ多いようですが、本書で示されているように、昭和19年当時、米国の造船はフル操業に入っており、月に100万トン以上の船舶(標準的輸送船で数十隻以上)を建造しており、レイテ湾で空(から)の輸送船を50隻や100隻沈めたくらいでは、戦局に何ら影響しなかったことは明らかです。
そうした従来の日本国内での誤解を解き明かしてくれているのが本書です。 |
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【考察】
本書著者は両洋艦隊法で建造が認められた空母は18隻と記しています。ウィキペディア(英語版も含めて)で示されているのは8隻で、10隻の違いがあります。ウィキペディアのデータで見ていくと、米国の1938年海軍拡張法(第二次ヴィンソン案)でエセックス1隻の建造が認められ、1940年6月の海軍拡張法(第三次ヴィンソン案)では3隻が認められています。その直後のスターク案による両洋艦隊法(1940年7月)ではエセックス級8隻が認められています。発注時期は、エセックスを含めての3隻が1940年7月で、これは第三次ヴィンソン案に基づくものと考えられます。同年9月にさらに8隻が発注されており、これは両洋艦隊法に基づくものと考えられ、第三次ヴィンソン案の3隻とは別に両洋艦隊法でさらに8隻が認められたと言えます。その後の発注は日米開戦直後の1941年12月に2隻、1942年8月に10隻(これはミッドウェー海戦の結果から空母の重要性が再度認識されてのものと考えられます)です。結局、両洋艦隊法成立直後までに11隻、ミッドウェー海戦直後までにさらに12隻、ここまでで計23隻が発注されています。このうち、戦争の帰趨を決定づけたと考えられるマリアナ沖海戦までに就役していたのは10隻です。著者が18隻とした根拠はわかりません。ちなみに起工は、ネームシップのエセックスでさえ1941年4月という遅さですが、参戦後の建造スピードはすさまじい速さです。(エセックスが1年8か月、2番目に就役したレキシントンが1年7か月、3番目のヨークタウンが1年5か月)
一方、防衛省から出されている「日本海軍の後方支援に関する史的検証」と題された論文では、
『1941(昭和16)年7月米国は突如として「スタークプラン」という膨大な海軍拡張計画を可決発動すると発表した。この「スタークプラン」が日本海軍を驚愕させる両洋艦隊法案と通称されるもので、主な内容は、ア.艦艇
7 割増強、イ.海軍機 1.5 万機に増強 ・ ・ ・ 』
と書かれています。
帝国海軍も、この両洋艦隊法の規模を掴んでいたわけで、発動年が1年間違っていること(と海軍機の増強数に意味違いがあること)からして、当時の日本海軍が驚愕したものの、戦後も含めてその後、この両洋艦隊法が真剣に取り上げられてこなかった証と、私には感じられます。
さらに日本では、この両洋艦隊法の脅威を認めたがゆえに、 「日本海軍が優勢なうちに戦争を始めたほうがよいと考えた」という考えがありますが、論理の飛躍というか、論理の断絶があるように思えてなりません。早期講和ができる保証はどこにもなく、そうなると敗戦に至るのは必至の論理だからです。 |
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このサイトの責任者はこの本の翻訳者 粟田亨です
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